今回は、休職に至った経緯の振り返りと
休職中の様子をお話しします。
公開する理由
厚生労働省の平成30年次のデータフレームの「労働安全衛生調査」によると、過去1年間にメンタルヘルス不調により連続1ヵ月休業した労働者の割合は、0.4%と報告されています。これは労働者人口をおおよそ6,000万人と計算すると、およそ24万人におよびます。
私は現在、約4ヵ月仕事をしていません。
約4ヵ月前、こころも体もヘトヘトの状態で、毎日このまま消えてしまいたいと考えていました。
誰も知らない場所で、とにかく静かに暮らしたかったのです。
休日も鳴りやまない仕事の連絡に気を取られ、常に緊張していて休めませんでした。
考える事は山積みなのに、何も自分で判断できない。
これまでの自分の性格が180度変わり、些細な事で涙が出て、落ち込み、活力がない。
どうして、こうなってしまったんだろう…。
その理由も、分からないほど不安と混乱で頭の中が一杯になっていました。
そして心療内科で出された診断は『適応障害』でした。
今現在、同じように苦しみながら、踏ん張っている方。
自宅療養されている方。
そして社会復帰し、踏み出された方。
事情は違えど、休職に至った全ての方へ
少しでも、安心感を。
こんなアラフォー独女もいるんだから
あなたはきっと大丈夫。とお伝えできればと思って
このブログを書いています。
良い言い方ではないですが、日本に24万人も休職仲間がいるんだから、
自分を責めないで、24万分の1の乗り越え方を見つけて行きましょう。
今の状況は自分勝手でもない、あなたのこころが弱いからでもないんです。
そう思えるまでに4ヵ月かかりましたが、そんな今、4ヵ月前の自分に言いたい。
『これまで良く頑張ったね。4ヵ月後は、やっと自分を許せるようになったよ。』
積み重なるストレス
『適応障害』
明らかなストレス原因があり、ストレスにさらされ3か月以内に発症すると言われています。
実際、私は職場異動と業務内容の変更があり原因は明らかでした。
これまでは、約10年間販売員として仕事をしてきて、
ある程度の自信もあり、仕事に不満や疑問も持たずやりがいも感じていました。
そんな中、昇進のお話を頂き、新しい業務に就きました。
異動先は、これまでの職場環境とは全く違い、常に監視されているような環境でした。
何かあれば、上司に怒鳴られ、自分じゃなくても誰かが怒鳴られているの目にする日々。
今では上司も厳しく指導することで、成長させようとしてくれていたんだと理解はできますが
当時は、『仕事をする理由が上司に怒られたくないから』にすり替わって行ったのです。
もう一つの理由が、業務内容も変わった事でした。
これまでの販売業務と違い、店舗と人材マネジメントや育成、資料作成、商談。
苦手な人前で自分の考えを話す機会も増え、決定事項に責任をもつ。
社歴は10年ですが初めての業務が多く
自分に自信がないまま、付いていこうと当初はとにかく必死でした。
まさに、中間管理職が経験するであろう板挟みにも悩んでいました。
同僚からは、部下に嫌われるのも仕事の内だと気にするなと励ましもありました。
しかしその場では理解できるものの、こころの中ではいつもモヤモヤしていました。
『本当はこんな言い方したくないのに』とか『本音で話したいのに』とも思っていました。
もしかしたら、そう出来るならすれば良かったかもしれません。
ですが、当時は余裕がなく目の前の事に追われ
ただただ自分を消すように消耗して行ったのでした。
他にも変化はありました。
通勤時間もこれまでの3倍。休憩なしはザラで残業も多く
1日1食、夜中の1時にとりあえず営業しているオリジン弁当を食べる。
その結果3ヵ月で体重も約5キロ痩せてしまいました。
食欲はありましたが、食べる時間がなかったんです。
今思えば、なるべくして病気になった事が分かります。
もうひとつの理由としては
仕事による変化の約半年前に、離婚をし一人の生活になった事です。
離婚後、人生で初めて一人暮らしをすることになり
やっと慣れてきた頃でした。
これまでは、良くも悪くも旦那さんに気を使い仕事を切り上げる事もありましたが
一人の生活は、いくらでも自宅で業務が出来てしまうのです。
会社はサービス残業を禁止していますが、実際自分のスキル不足によるものだという気持ちと
風潮もあった為、しかたなく行っていました。
このような環境の変化から、徐々に気持ちは落ち込み、自分が自分ではない感覚になって行きました。
常に焦りと不安で、ストレスを積み重ねて行ったんです。
適応障害の症状
主な症状は、動機、息切れ、不眠、気分が落ち込み泣いてばかりいました。
自責ばかりし判断力もない為、友人や同僚に相談するものの納得する余裕もありません。
あの頃は、全てが自分を責めている様に感じていました。
自分の異変に気付いたのは通勤時のホームでした。
動機と息切れが止まらず、ぼんやりと何でこうなってしまったんだろう。
これは自分が思っているより深刻な状況かもしれないと薄っすら思いました。
逃げたい気持ち、自分の弱さの問題で一時的なものだと言う気持ち。
だけど、仕事を辞めたいとは言えません。
それからは通勤時は電車の中で落ち着こうと耐えるようになりました。
眩暈でトイレに駆け込むこともあり
もしかしたら、遅刻するかもしれないと恐怖心から出勤時刻の1時間前には到着するように家を出ていました。
帰宅後は疲れているはずなのに、気持ちが高まり
眠れないまま、カーテン越しに明るくなっていく空を見て
焦る事も何度もありました。
『横になっているだけでも、体は休めたんだから』と言い聞かせて
出勤する為の準備をして、また家を出る。
こんな状態で、いい仕事が出来る訳もなく
職場では、ご迷惑をかけてばかりだったと思います。
その時期、なぜか衣服のシワが許せず
アイロンをかける事に執着していた事も
今となってはこころの不調が関係していたのかも?とふと思い出しました。
休職に至るまでの流れ
通院と産業医面談をした後、休職に入りました。
きっかけは前の職場の上司からの助言です。
『ストレスチェックを本音で回答する事』
『産業医と面談をし人事を通し適切に対処する事』
会社では、ストレスチェックという制度があり
毎月に加え、年1回総括で見るチェックの2種類があります。
これまでは、直属の上司に気を使い前向きな回答に盛ることもありました。
前の職場の上司からの助言をもらい、現状を素直に回答し産業医との面談を組みました。
産業医からは、一旦休職するべきだとの話もありましたが
当時は、良い判断ができる訳もなく
『休職なんてしたら終わり』という気持ちがあり
とりあえず動悸や息切れ、不眠を解決したいと思っていました。
そこで心療内科へ行き、投薬と通院しながら仕事を続けるか
休職するかという2択になり、仕事を続ける選択をしました。
ですが結局1ヵ月続けてみて、動悸は弱くなりましたが根本は改善せず、
また薬の影響で仕事中眠くなってしまうなど、職場に気を遣わせる事が辛くなり
その後の心療内科で『自宅療養を要する』
いわゆる、休職が必要だという診断書をもらった次第です。
上司との面談では、休職ではなく一時的な休みにした方が良いと言われたり
自分自身でも、休職したら復帰が難しくなると悩みましたが
療養に専念したいと決断し人事手続き後、休職させてもらいました。
現在の状況
現在は、心療内科に月2回通いながら自宅療養しています。
当時の症状の動機、息切れ、不眠はなくなりました。
ストレス原因から離れる事で、こころも落ち着いています。
毎月の診療日に翌月、復帰できるか休職続けるか診断があります。
怪我のように目に見えて回復している実感はありませんが、これまでの経過です。
- 1ヵ月目
まだ休む事に罪悪感があり、すぐ復帰出来るよう仕事の事も考えたり、今何をするべきか焦りを常に感じていた。 - 2か月目
まだまだ、復帰に不安がありもう少し休みたいと感じた。 - 3ヵ月目
さすがに、3ヵ月は長いと思うのと何となく2022年明けから復帰したいと考えていたので、復帰したいと伝えた。しかし休職の診断が出て大泣きしてしまった。 - 4か月目
まだ早い。焦りが強いことに気づき、病院の診断に任せようと思えた。
自分の事、病気の事について向き合うようになる。
本も読める様になり、以前より集中力が戻って来た様な感覚。
このブログも始める事が出来た。
今、ここの段階です。
落ち込む事も、ないとは言わないし
会社に罪悪感はあるけれど、今は自分を1番大事に考えよう!と思えてきました。
これからの人生でまた、当時の様な苦しい状態にならない様に
自分に何がベストか取捨選択をし、自分を自分で癒す方法を身に着けたいと思っています。
現在、こころの不調で悩まれている方へ
毎日が辛くて、でも頑張りすぎてしまう。
頑張るしか、打開策はない。
当時、そう考え自分の力不足を責め
何よりも、自分が1番自分を責めていました。
休職という選択になってしまいましたが、
同じように辛い日々を過ごしている方には
どうか、頑張る以外の選択肢もある事を伝えたいと思います。
一旦休憩する、ハードルを下げる様動く、環境を変える、完璧は求めない。
色々な方法があります。
様々なしがらみで見えなくなってしまいますが、自分を理解し無理はせず
活躍できる場所がきっとあります。
仕事は自分のこころの安定以上に、優先しなければならない事でしょうか?
自分以上に、自分を勇気づけ真剣に考えてくれる人はいないから
自分で人生を選択していく。
人生の軸は自分自身。他の何でもない。
その過程で、休む事は一つの選択。
身体が出していたサインに気づき、向き合うための一歩でした。
24万人分の1人として、こんな人もいるんだと
1人でもお読み頂けたら幸いです。